こんばんは。
弁護士の宮本です。
さて,本日(日付変更前ですので厳密には前日ですね),最高裁の大法廷で判例変更がありました。
具体的には,地方議会で行われた議決について,司法審査の対象外とした判例(最大判昭和35年10月19日)を変更し,これが司法審査の対象になるものとしました。
判決文はすでに公開されていますので,興味のある方はこちらをご参照ください。
これまではいわば部分社会の法理として,特定の団体内部の判断については,司法審査が及ばない,という理解が一般でした。
無論,これまでの判断でも,純粋な団体内部の判断には司法審査は及ばないものの,それが社会生活に影響がある場合には,その点について司法審査が及ぶ,というスタンスでした。
これは,一定の団体においては,その自律が尊重されるのであり,自律のための判断について,司法が判断すべきではない,といういわば価値判断によるものと思います。
この判断枠組みの大元は変わっていないのかもしれませんが,本件では「出席停止の懲罰の性質や議員活動に対する制約の程度に照らすと,これが議員の権利行使の一時的制限にすぎないものとして,その適否が専ら議会の自主的,自律的な解決に委ねられるべきであるということはできない」ものとして,「出席停止の懲罰は,議会の自律的な権能に基づいてされたものとし
て,議会に一定の裁量が認められるべきであるものの,裁判所は,常にその適否を判断することができるというべきである」としています。
判例については,今後の評釈が待たれるところですが,行政法の教授である宇賀先生の補足意見で,一方で議員の活動が市民の付託を受けたものであることから,その制限については謙抑的に考えるべきであるとしながら,これを司法審査の対象としても,「裁量権の行使が違法になるのは,それが逸脱又は濫用に当たる場合に限られる」から,議会の自律を害することはない,としているバランス感覚が一番しっくり来ました。
私達にとって,最高裁の判例は非常に重要なものであり,ある意味金科玉条のように捉えてしまう可能性も否定できません。
しかし,そこに疑問を感じ,変える必要性を訴え,裁判で主張し,結果としてこれを最高裁に認めさせるということは,容易なことではありません。
弁護団の先生方は概ね存じ上げている先生なのですが,今回の判決獲得に要したであろう,準備やその熱意には,ただただ頭が下がる思いです。
判決に記載される(おそらく)名前の順であろう上告代理人の筆頭が,今年1月に亡くなられた阿部長先生なのもなにかの縁なのだろうな,と思ったりもしました。
自分も斯く有りたいと思う次第です。
それでは
宮本