Monthly archives "3月 2016"

Specially

こんばんは。弁護士の宮本です。

日付が変わり,今日は平成28年3月11日です。

3月11日と言う日が,東北に住む者にとって特別な日になってからもう5年が経ちます。

幸いにして,仙台市中心部で被災したので,自分自身に大きな被害はありませんでしたが,それでも目の当たりにした光景は忘れることが出来ません。

季節はめぐり,今年もまたこの日がやって来ました。

この5年間で良くも悪くも変わって行ったものが数多くあります。

ただ,今日という日に思いを馳せる気持ちは,5年前から何も変わっていないような気がします。

5年という月日は長いようで,あっという間でもありました。

3月11日が,なんでもない日に戻れる日が早く来ることを願ってやみません。

 

それでは。

 

清水へ祇園をよぎる桜月夜

こんばんは。弁護士の宮本です。

タイトルは与謝野晶子ですね。特に意味はありません。

さて,今日は先日出た最高裁判決について書いてみようかと思います。

一時,判決文を見ようとする方が多かったため,最高裁のサイトが繋がりにくい状態になり,別のページを用意したくらい反響があったみたいです。

事件は,最三小判平成28年3月1日。線路内に立ち入った認知症患者の家族に対しての請求が棄却された事例です。

まず,この判決は,最高裁の判例要旨で「…事例」となっていますので,あくまでも事例判断です。

認知症患者の家族の責任が一切否定されたわけではないので,その点には注意が必要でしょう。

その意味で,判示の中で重要な意味を持つのは,次の部分です。

「責任無能力者 との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防 止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の 監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められ る場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法 714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当」

まず,判決では,原告の請求が民法714条に則ってますが,この民法714条に定める「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に,夫婦というだけでは当たらない,としています。

原告は,夫婦は同居,相互扶助義務があるとされています(民法752条)のですが,それだけでは「法定の義務を負う」とまでは言えないとしていますね。

ただ,法定の義務を負うものではなくても,「身分関係」や「日常生活における接触状況」から考えて,特段の事情のある場合には,法定の義務を負うものと同視して,責任を問いうるものとしています。

最高裁が言っているメルクマールは①身分関係と②日常生活における接触状況」ですので,家族が依然としてその中で大きな地位を占めていることは間違いなさそうです。

その後に引き続いて,最高裁はどのような事情を総合考慮すべきか,いくつかポイントをあげていますので,この点は参考になると思います。

このような,何とも総合考慮合わせ技的な手法ということは,感情としてはわかるところです。でも,実際の法理論的にどうなっているのか,なんでこれらの事情を考慮すると,責任を負わされたり負わされなかったりするのかがいまいちわからないところもあります。

ここで,自分として腑に落ちた説明は,木内裁判官の補足意見です。

木内裁判官は,補足意見の中(最後の方です)で,次のように述べています。

「責任無能力の制度は,法的価値判断能力を欠く者(以下「本人」ともいう。)の ための保護制度であるが,…(中略)…本人に責任を問わ ないとしても,監督者が責任を問われるとなると,監督者に本人の行動制限をする 動機付けが生ずる。」

とし,

「保護者,後見人 に本人の行動制限の権限はなく,また,行動制限が本人の状態に悪影響を与えるた めに行動制限を行わないとすると,四六時中本人に付き添っている必要があり,そ れでは保護者,後見人の負担が重すぎる」

そうすると,保護者が責任を負うためには,「本人を現に監督しているかあるいは監督する ことが可能かつ容易であるなどの客観的状況にある」事が必要としています。そうしないと,「そうで ない者にこの責任を負わせることは本人に過重な行動制限をもたらし,本人の保護 に反するおそれがある。」という趣旨のようです。

最高裁はこのところ,少し幅の広がりすぎた責任の範囲を狭めるような思考をしているようですので,ある程度予想された判決ではあったのですが,こうして読んでみると色々発見があり面白いですね。

 

それでは。